原発被災者から私たちが学ぶこと

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2014.11.22
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Photo:原発事故により震災後そのままの浪江町の名士的小売り企業:サンプラザ 社長撮影
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掛 泰輔

慶應義塾大学環境情報学部3年

「原発事故が起こってから、仕事や住む場所は自分で探さざるを得なかった。50過ぎたおじさんが自分で新しく仕事を探せと言われても相当厳しい。そうして探しているときに、ハローワークの列に並んでいた。被災者でも非常に事務的に扱われ、極端な話A-3番と呼ばれたときに、初めて自分が被災者なのだと自覚した。それまで自分のやってきた仕事、そこで培ったアイデンティティーや尊厳はなんだったのだろうと思った。」
 原発被害にあった50代男性の言葉です。

 2011年3月11日に発生した東日本大震災により、翌3月12日福島第一原発1号機で水素爆発がおきました。それにより原発事故の被害に遭った地域は、未だ20万人以上の人が故郷に帰れない生活を強いられています。(一方で、福島県外に避難した人の数は、おそらく読者の予想を上回りますが、およそ2.5%、5万人ほどです。)
 特に働く若者世代、地域密着で長年やってきた個人事業主、経営者はまるで見通しが立たない中で家族をどう養うか、当時は途方に暮れていたといいます。今も決して自体は容易ではなく、特に原発事故の被害が大きい浪江町、大熊町、双葉町の事業再開できたのは業種にもよりますが平均で10人中3人から5人に留まります。

 冒頭の彼の口から「アイデンティティー」や「尊厳」という言葉をきき、果たして私自身にそれはあるだろうかと、私は思いました。私は彼の言葉によって私自身の生活を振り返り痛感したのは、同じ日本に住みながら、それまで彼のような存在にまるで目を向けていなかった自分自身の軽薄さでした。
 彼はそのような絶望的な体験を経て、それまで30年近く働いてきた会社の事業再開、そこでの仲間とともにもう一度働くことが、自らのアイデンティティー、尊厳の回復なのだと決意したといいます。

 誰もが今まで通りの形でお店を再開できないと思った中、彼は懸命に仲間に働きかけ、また仲間とともに仕事をつくり、お店は避難場所で再開することができました。しかし現在、新たな課題にも直面しています。

 果たして私たちが、直接原発事故を経験していない人間が、彼らから学べることは何なのだろうか。何を、学ぶべきなのだろうか。
 
 彼は私に「君のようなヨソ者に語ることで、私自身のその当時の感情が言葉になる。言葉になれば感情の整理がつき、新しく踏み出せる」と言います。
 彼にとってばかりでなく、当事者でない人間が「自分事化」することで、私たちは前に進むことができるのではないでしょうか。彼らの体験を無視して、日本人は先に進もうとしているのではないでしょうか。

 私のような当事者でない人間にとって、彼らの経験を「自分事化する」とは、私自身が自らの生活を、彼らの経験によって振り返ることだと思います。
どういうことか。
 
 彼は、自ら仲間に働きかけ、仕事を、環境を、つくってきました。しかし、果たして、私は彼のように尊厳をもって仕事をつくっているのか。私のアイデンティティーと私の仕事は一つだろうか。私が取り組む活動、やっている仕事の、私自身にとっての意味は何なのだろうか。

 そうしたことこそ、彼らの経験を他人事にしないために、彼らから私たちが自己反省して学ぶべきではないでしょうか。



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掛 泰輔

慶應義塾大学環境情報学部3年

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