パンピーJDがゆく。先生、「哲学対話」って何ですか?

東大教授、梶谷真司先生に聞いてきました。
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2016.11.12
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こんにちは!現役JDライター、ヒライです。

 

ヒライの最近のイシューは、よりQOLの高い食物摂取のPDCAサイクルをアウトソーシングに頼ることなく回し、最小のコストから最大のベネフィットを得ることですね。要するに毎日ひとり鍋です。

 

 

最近考えていることは、鍋のことか菅田将暉のことくらいです。菅田将暉と恋に落ち、そして無残に捨てられるまでの具体的なアクションプランを詳細に妄想したところで、思考量は15byteくらい。1日のスマホのデータ使用量のほうが圧倒的に大きいですね。

 

「お前考えることなさすぎじゃね?w」

 

なんて声が聞こえますが、(まあ実際そうですけど)、

 

それにしても、最近、考えてない…

 

そんな時ふと思い出したのが、自分が過去に書いた「哲学対話」の記事。

なんか、「みんなで話しながら1つのテーマについて考える」「毛糸のボール持って話す」みたいなやつだった気が…する…けど…

 

 

うーん。よくわからん(笑)

でも、今の私の低byte思考生活を打破するためにも、ここは第一人者に聞きに行けばいいんじゃない?

 

 

ということで、聞いてきました。

お話を伺ったのは、東大教授の梶谷真司(かじたに・しんじ)先生。「哲学対話」の活動を精力的に行われている先生です。

※UTCP(共生のための国際哲学研究センター)のHPは、こちら

 

先生、哲学対話ってなんですか?

 

まず、哲学対話っていったい、何?

 

哲学について対話するの?どうやって対話するの?楽しくおしゃべりすればいいの?っていうか、ちょっと怪しくない?もしかして話してる途中に宗教に勧誘されてたりしない??

 

全然わからない。。これは、聞いてみるしかない。。

 

 

 

「先生、『哲学対話』ってなんですか?」

 

 

 

「哲学対話は、ルールにのっとって対話することです。僕がやっている哲学対話には7個のルールがあります。今からそれを説明するね。」

 

 

 

(なんか、めっちゃ簡単そうに聞こえますけど…)

 

 

 

「まず、『なんでも言っていい』場って、この世の中に本当にないんだよ。」

 

 

 

!!!!!!!!

 

 

「飲み会とか、お茶をしている時とか、気楽にしゃべってるかもしれないけど、実は『言っちゃいけないこと』『聞いちゃいけないこと』ってすごくたくさんあるんだよね。その場の空気を盛り下げるような発言なんて、絶対にできない。それをやっちゃう人は、集団から排除されてしまうんだよ。」

 

 

 

「たしかに…」

 

 

 

「だからこそ、逆説的かもしれないけど、ルールを決めて自由を制限しないと、『なんでも自由に言っていい場』はできないんだよね。」

 

 

「『なんでも言っていい』っていう気持ちになるためには、『自分の言葉を真面目に聞いてもらえてる』っていう安心感がなくちゃいけないよね。だから、『否定したり、茶化したりしない』っていうルールがある。」

 

 

「哲学対話の場で、『本当に何でも言っていい』場を経験すると、みんなすごく安心して、新鮮な気持ちになるみたいなんだよね。」

 

 

「次に、『お互いに問いかけるよう心がける』こと。」

「これって実はすごく難しい。普段の会話で、『なんで?』『どうして?』って、たくさん聞きます?」

 

 

(全然聞いてないかも…。合コンの”さしすせそ(※)”はめっちゃ言うけど…)

※さすが!知らなかったー!すごい!センスあるよね〜!そうなんだ〜

 

 

「『なんで?』って言われると、ちょっと攻撃的だって感じるでしょ。でも、『なんで?どうして?具体的にどういうこと?』って問われないと、考えって全然深まらない。」

 

 

「聞きにくいこともあるかもしれない。相手を傷つけないように、『大変だね』っていうだけで済ますことは簡単だよね。でもそれって、積極的には傷つけてないけど、関わることを避けてるだけなんだよ。」

 

 

「とはいえ、質問することは、難しいよ。だから対話の最初に、『難しいですよ、でも今日は頑張りましょうね(笑)』っていうこともあるんです。」

 

 

「だけど、無理やり話したり質問したりしなくてもいい。『話さなきゃ!』っていう同調圧力で、話したくないことや、無理やり適当なことを話すぐらいなら、黙ってた方がよっぽどいいよ。」

 

 

「だから、『発言せず、ただ聞いているだけでもいい』っていうルールがあるんだ。」

 

 

 

 

「次に、『知識ではなく、自分の経験にそくして話す』こと。」

 

「いろんなことを知るといっぱい話せると思うでしょ。でもそれは、人に勝てるかどうかの問題なんだよね。知識のある人の話を、そうじゃない人が聞いてる、ってだけにになっちゃう。そういうの、全然生産的じゃない。」

 

「子ども相手に対話すると、すごい面白いですよ。だって彼らにもわかる言葉で話さなきゃいけないから、ふだん使っている『頭を良く見せる言葉』が全部封じられちゃう。そうなったら、その人自身が本気で考えて、言葉を選んでしゃべらないと、何もできなくなるんだよ。」

 

 

 

「最後に、『話がまとまらなくても、意見が変わってもいい』『わからなくなってもいい』ってこと。」

 

「意見が変わるってことは、いろんな可能性や立場を考えて、考えが広がってるってことだから、すごくいいこと。」

 

「哲学対話は、異なる年齢、職業、性別の人が集まって、違う価値観の人同士でやった方がむしろ面白いんだよ。似た者同士だと、ある程度で意見が同じになっちゃって、それ以上考えが深まらない。」

 

 

「あと、『わからなくなる』ってことは、考えることが増えることだから、哲学的にはすごくいいことなんですよ。哲学っていいよ。わかんなくなったら、『すごいすごい』ってなるんだからね(笑)」

 

 

 

「最初は簡単そうに聞こえましたけど、実際このルールにのっとって話すのって、すごく難しいですよね…」

 

 

じゃあ、「哲学すること」ってなんだろう?

 

 

 

「哲学対話のルールはよく分かりました!」

「じゃあ、哲学対話って、”哲学”とは何の関係があるんですか?」

 

「哲学的テーマについて話すんですか?例えば、ハイデガーとか、アリストテレスとか、そういう小難しそうなやつ。(じんましん発生案件…)」

 

 

 

「そういう哲学とは何の関係もないよ(笑)」

 

 

 

 

「あ、そうですか(笑)」

 

 

 

 

「すごく日常的なテーマでいいんだよ。」

 

「例えば、『なんであいつはできるのに、俺はできないんだ』とか、そういうことでもいい。」

 

「それから問いを始めて、『できるってどういうことだろう?』『なんでできなくちゃいけないんだろう?』って、どんどん考えていくことができるでしょ。」

 

「『好きなごはんのお供』がテーマでもいいんだよ(笑)それがわかるだけで、相手のことがちょっとよくわかるようになる。」

 

 

 

(そういえば、半年一緒に仕事してて、メディア事業部のインターン生の好きなごはんのお供知らないかも…!)※後日聞きました。

 

 

 

 

 

そういう小さな問いを出発点にして、考えていく。哲学は誰でもできますよ。

 

 

 

 

「えっ?!そうなんですか?!哲学者じゃなくても、『哲学できる』んですか?!!」

 

 

 

 

「そうそう。僕は、哲学の定義は「問い、考え、語り、聞くこと」だと思ってる。」

 

 

 

 

「小さな問いからはじめて考える。それを、人にわかる言葉にする。言葉にしないと、考えってはっきりしないからね。それから、『なんで?』『どうして?』って聞くことで、もっと考えを深めていく。」

 

 

問いをみんなで共有して、みんなで哲学する。それが哲学対話です。」

 

自分の問いには、誰も代わりに答えてくれない。

 

 

「でもね、どんな問いをもってても、みんな、『考えてもしょうがない』『考えるのはめんどくさい』って思ってる。だからみんな、考えない。」

 

 

 

 

(あっ!それ、私のお母さんもだ。毎日いそがしくて、考える暇もないし、ふと疑問に思ったこととか不満に思ったこと、全部考えてたらストレスになるだけだから、全部受け流すって言ってた!)

 

 

 

「いまの社会は、むしろ『考えるのはよくない』って教えられる社会かもしれない。例えば、『学校で何を学ぶか?』っていう問いを考える自由はないでしょ。生徒たちは、選択肢を与えられて、その中から決めさせられているだけ。」

 

 

「自分が考えるべきことがあって、ちゃんと考えて決める。自分で考えることも選ぶこともしてないのに責任を押し付けられたらたまらないけど、自分で考えて納得して、その結果起こったことなら、責任をもってもいいと思えるでしょ。」

 

 

「つまり、考えるってことは、自分の人生に責任をとるかどうかの問題。自由と責任の問題なんだよ。」

 

 

 

 

(低byte思考のヒライには耳が痛い話です…)

 

 

ちょっとだけ、哲学対話をやってみてもいいですか?!

 

 

「先生、最後にお願いがあって、ちょっとだけ哲学対話をしてもらってもいいですか?」

 

 

 

 

「うん、いいよ。何についてやりたい?」

 

 

 

 

「えっと…」

 

 

 

ということで、当日カメラマンをしてくれたインターン生の浅井くんと先生と3人で、10分だけ哲学対話をしてきました!写真の中の緑色の玉は、「コミュニティボール」といって、哲学対話では、ボールをもっている人だけが話すことができます。

 

 

対話のテーマは…

 

対話の詳細が気になる方は、以下の写真を目を皿にしてご覧ください。

 

 

「どうして怖いのか?」というテーマから始まって、先生からは「怖いって具体的にどういうこと?」「怖いってよくないことなの?」などなど、するどい質問がぽんぽん飛んできました。

 

 

今までなんとなく「怖い怖い」って言ってたけど、そのテーマだけでもいろいろ、考えることってあるんだなあ…

 

あと、浅井くんも「怖い」って思っていたことがびっくりでした。

 

 

「浅井くんへの共感がマシマシです…!!」

 

 

 

「上司とのミーティング、一緒に頑張っていきましょう…!」

 

 

 

そして、今日の話を終えて、私にも一つ問いが生まれました。

 

それは、「社会問題って、なんで解決しなきゃいけないんだっけ?」「なんで社会の無関心って、打破しなきゃいけないんだっけ?」ということ。

 

リディラバは、「社会の無関心を打破し、社会課題を解決するために、社会課題の現場に行くツアーをつくる」会社です。

 

リディラバでインターンをはじめて半年がすぎたけど、

実は私、この問いについて真剣に考えたこと、なかったかも…

 

この問いに答えなくちゃ、リディラバで働いているとはいえません。。。

でも一人で問いを深められないヒライは、

今度、インターン生や上司と一緒に、この問題について「哲学対話」してみたいと思います!

 

先生、今日はありがとうございました!

 

 

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